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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-02-21 第196回国会 参議院 憲法審査会 第1号

いずれも吉田茂内閣のときであり、国会が混乱する中、とりわけ衆議院の与党内の対立が激しくなる中、抜き打ち解散、ばかやろう解散などと称される衆院の解散の後に参議院の緊急集会が召集されております。  驚くべきことに、例えば予算については、憲法六十条第一項において、「予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。」

西田実仁

2015-07-13 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会 第1号

その吉田茂内閣においても、例えば警察予備隊が創設されるときに、日本を守る自衛権までも放棄をしていた四六年見解から変えまして、自分たちは国を守る権利というものを有しているんだということで、そのときの政局によって変わっているということはもちろん御存じだというふうに思います。  ところで、先ほど公述人がおっしゃったんですが、自衛隊は違憲だとお考えになっていらっしゃるんですか。

今津寛

2014-05-08 第186回国会 衆議院 憲法審査会 第5号

少し過去の経緯を振り返りますと、憲法改正手続に関する法整備については、昭和二十七年から二十八年にかけまして、吉田茂内閣当時の自治庁、現在の総務省でありますが、自治庁において具体的な法案が検討、作成されたという記録が残っているようでございます。ただ、閣議決定の段階になり、内閣憲法改正の意図を持っていると誤解されるとの理由から、国会提出が見送りになったというふうに言われております。  

船田元

2009-05-12 第171回国会 衆議院 予算委員会 第27号

それで次、麻生総理の岳父というか義理のお父さんである鈴木善幸内閣、それから、おじいさんである吉田茂内閣をちょっと見比べていただきたいんです。  まず鈴木善幸内閣、二十一名のうち東京近県とかいうのはたった四名でした。二世、三世は三名。ただ、ここがおもしろいんです。このときの閣僚の方の御子息国会議員になっている方が十一名もおられるんです。石破二朗さんと中曽根康弘さんは御子息が今閣僚入りしている。

篠原孝

2009-02-02 第171回国会 参議院 本会議 第6号

そうした厳しい占領下にあっても、昭和二十年十一月二十日には幣原総理が参拝されておりますが、昭和二十六年九月八日、サンフランシスコ講和条約が調印され、麻生総理の祖父であられる吉田茂内閣総理大臣は、この日を待ちかねていたかのように、十月十八日、靖国神社秋例大祭に公式参拝され、新聞各紙写真入りで極めて好意的に報道しております。

水落敏栄

2007-05-15 第166回国会 参議院 総務委員会 第15号

ということになっておりまして、しかも昭和二十七年に作られました統計報告調整法もこの中に取り込むということですから、大変大規模な改革だというふうに思うわけでございますけれども、内閣府の経済社会統計整備推進委員会というところが平成十七年の六月十日に政府統計構造改革に向けてという報告書を出しておられますが、私、いただいた参考資料の中にそれが入っておりましたので読ませていただきましたところ、その冒頭のところに、昭和二十四年に吉田茂内閣総理大臣

長谷川憲正

2006-03-29 第164回国会 衆議院 外務委員会 第7号

ですから、それをちゃんと知っていた吉田茂さん、第一次吉田茂内閣大蔵大臣に抜てきする。ところが、アメリカの言うことを聞かないから、なぜかしら公職追放になる。その後、どういう思想、哲学の変遷があったのかわかりませんけれども、公職追放解除になった後は、鳩山自由党の方に参加されて、反吉田になっていくわけですけれども、しかし意思は通じていたんじゃないかと思います。  それで、では今度、右に移ります。  

篠原孝

2000-04-20 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

そして、吉田茂内閣が発足したのは五月二十二日であります。実に一カ月余りも政治空白期間があったわけであります。  一方、当時の国民はといえば、食糧の遅配が深刻で、各地で米よこせのデモが行われるなど、混乱が続いておりました。当時の混乱した状況を示す一つの資料を紹介しておきます。これは、五月の九日に内務省の警保局が作成した資料であります。少し読ませていただきます。  食糧は正に危機寸前である。

天川晃

1993-10-25 第128回国会 参議院 決算委員会 第1号

そのときに私は思い出しますのが、吉田茂内閣のもとで、いわゆるアメリカ仁川沖に上陸するためにアメリカから掃海艇を持っていくのにはペルシャ湾に持っていくぐらいの時間がかかるわけです、一カ月以上かかる。そこで吉田茂総理のときに、あのときは海上保安庁でございます、運輸省でございますけれども、自衛隊はなかった、海上自衛隊もなかった。しかし、戦後日本の周辺に機雷等がいろいろ残っておりました。

守住有信

1986-11-21 第107回国会 衆議院 本会議 第14号

(拍手)  この際、我々は、憲法制定の原点に立ち返り、昭和二十一年五月十六日召集された第九十回帝国議会において、吉田茂内閣総理大臣がこの壇上、この場所において、憲法第九条について「一切ノ軍備ト国交戦権認メナイ結果、自衛権発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス、従来近年ノ戦争ハク自衛権ノ名ニ於テ戦ハレタノデアリマス満州事変然リ、大東亜戦争亦然リデアリマス、」「故二我ガ国ニ於テハ

坂上富男

1958-06-24 第29回国会 参議院 農林水産委員会 第3号

小笠原二三男君 あなたに言っても、それは無理なことですけれども、二十六年、吉田茂内閣時代から、内閣が何世代か変っておる。その間大いに考究、検討せられて、なお意見調整ができないということは、結局、各省のなわ張り争い権限争いを企画庁としては調整しかねた。力がなかったんだということなんですか。

小笠原二三男

1957-09-12 第26回国会 衆議院 社会労働委員会診療報酬及び薬価に関する小委員会 第9号

それはどうしてかと申しますと村上さん、二十八年の二月十三日に向井大蔵大臣吉田茂内閣総理大臣に、社会保険診療報酬については、関係各省においてすみやかに根本的な検討を加えるものとする、なおこの場合要すれば臨時医療保険審議会その他の民間の公正な意見を徴するものとすると、あなたの方の大蔵大臣が言っておるわけです。厚生省の方にもそれを言ったら、今大蔵省とたびたび話し合っております。

滝井義高

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